もうねなさい

ゲームとか大好きです稀に現実のことも

日記 ASMRアルバイト

私は今、アルバイトでモニターを日がな一日眺めている。管理人曰く「バイト君がモニターを眺めている間、わたしは株のチャートを眺めることができる」とのことだ。

私はモニターに意識を向けるわけでもなく、かと言って何か思案に耽るわけでもなく、ぼんやりと視線だけモニターに落としていた。モニターの向こうでは小さな人間たちがせっせと作業をしており、私の仕事は彼らの作業効率が落ちていないかのチェックだけだった。

 

基本的に事務室は無言だ。私も管理人も静かな空間が好きというわけでも、話すことに必要性を見出せない訳でもなく、ただ理由無き静寂があり、その合間にちょっとした生活音が鳴るだけだった。もちろん理由ができれば会話も起こる。今日、先に口を開いたのは管理人の方だった。

「バイト君は読み聞かせは得意かな?」管理人はよく意味のわからない質問をすることがあった。ここにきて2ヶ月になるが、こういう質問が飛び出してくる時、管理人は静けさに耐えられなくて話しているわけではない。無邪気な人だからきっと素直に「読み聞かせが得意な人材」について思いを馳せていたのだろう。

「読み聞かせをした経験がないので、得意ではありません。」私は脳死で返事をした。あえて言わないが、人前で喋ること自体苦手なので経験があっても期待に応えられなかっただろう。管理人は私の返答を受けて何とも言えない表情で「そうか。」とだけ言った。この人はいつも表情から感情がわからないので私はいつも自分の言葉の選び方に間違いはあったか考えてしまう。

「この本曰く、『子どもを寝かしつける際に本を読み聞かせることが子育て界隈で大流行』とあるがわたしは読み聞かせというものをやったことがない。バイト君は読み聞かせられるならどんな本がいい?」と管理人は私に質問の角度を変えて尋ねる。人のことをSiriかなんかかと思ってんだよな。という気持ちと、子どもいるのかよという素朴的衝撃が走った。

 

「それって…あの〜…。」私は歯切れの悪い感じでモニターに目を向ける。直接子どものことを聞くのもなぜか後ろめたい気持ちがしたし、かと言って聞かずに「そんなふざけた本読んでないでくださいよ…」と言ってこの話題を終了させたくもなかった。

管理人はなんとも言えない表情で「そう。あの子はよくわたしに甘えるだろう。かわいいものだからわたしも良くしてあげたいんだけど。」と言ってモニターの画面を見る。モニターの中では人間たちが休憩中のようだった。可愛らしい少女が1人隅で飲み水を飲んでいるのが目に映る。

「ああ…そう、そうですよね。」管理人らしい返答に私は安堵した。思わず大声で『おめェに!!子どもが!!いるワケねェだろうが!!』と怒鳴り散らす寸前だった。しかし就寝前の読み聞かせとは、だいぶ可愛がられているようだなぁ。もっとも成人男性の読み聞かせられたい本を参考にしたところで意味無いと思うが。

「どんな本を読んでも喜んでくれますよ。貴女が彼女を思いやる行動が、きっと彼女にとって1番嬉しいことなんですから。」私はテキトーな返事をすることにした。これでもし子どもの立場に立って『【はらぺこあおむし】っスかねぇ』とか言おうものなら私は就寝前にはらぺこあおむしを読み聞かせられるのを望む成人男性になるからだ。

 

「そう?」管理人はそれだけ言うと再び事務室は静かになった。きっと、もうこの会話は終わってまた理由無き静寂が始まったのだろう。どんな本を読むのか気になるが、彼女ならきっと喜んでくれるはずだ。私は一つの物語の終着点を見たような心地で、業務に戻った。モニターの向こうでは休憩時間がそろそろ終わるのか、人々が散り散りになりつつあった。

「『この世界を構築するものここに記す…天、地、星、空…そして山、河、峰、谷、雲、霧、室、苔、人、犬、上、末、硫黄、猿……』」管理人は手引書を開き読み上げる。願わくば、それが就寝前に読まれることがありませんように。私は業務が退屈な時間になるやいなや快眠の世界へ向かった。