もうねなさい

ゲームとか大好きです稀に現実のことも

日記104 カスのような習慣

そもそもの「習慣」について

私のスマブラのリプレイをまとめた物を友達に送りつける行為のことです。

ここだけ聞くと迷惑なカスと思われるでしょうが、全ての物事は因果関係で説明できます。

この「習慣」の始まりの方は音信不通となった友達のことを本気で弔うためにやっていました。正直「そういうところ」がある人だったので、多分レンジで何かしらをチンした結果家がめちゃくちゃになって半身不随になったんだ。という予想を本気でしていました。

そしてあってると思ってました。「そういうところ」がある人なので。

 

彼のお墓と魂を鎮める行為

しかし私はスマブラマシーンなので彼にしてやれることは生前(?)に遊んだスマブラしかないのです。

そうだ「オンラインで全キャラVIP目指してるんだし、せっかくだからオンラインで俺が倒してきた「つわもの」の首を線香として奉ろう」

それから月末に彼のお墓(Twitterのアカウントのことです)にオンラインのリプレイをまとめたものを添えていました。

まあ、勘違いだった訳ですが。

 

ネタの話あれこれ

まず何かを作る時に重要なのがコンセプトやテーマであると思っています。

スマブラのリプレイ集が作りたくてスマブラのリプレイ集を作る場合、その内容は「スマブラのリプレイ集とは何であるか?」という問題に直面するでしょう。

それと同様に、私が墓に添えるリプレイ集は「それを伝えるために最善な行為がスマブラのリプレイ集である」必要があります。

最善でなくてもいいかと思いますが。

人々の行為に最善はほぼ不可能です。なぜなら人間は愚か(不完全性があるという意味です)なので。ですが、だからこそbetterを求めるのです。最善でなくても尽くすのです。

 

「何が?」という感情

結論から言うと私のリプレイのコンセプトは「何が?」に決まりました。

リプレイの全ては精査された後に、最も「は?」度が高いものを選びました。

コンボが意味不明である。

リプレイの存在意図が不明である。

挙動が意味不明である。

プレイヤーの意図が不明である。

など、そういった不透明なものに触れる際の不快感を味わっていただけたら幸いです。

 

内容について

気に入ったものがいくつかあります。

これ、凄く「俺」を端的に表したリプレイで凄い好きなんですけど。49という日記に書きましたが、私が同じ行動を繰り返すのはこの世界の摂理—つまり「全ての物事が失敗という名の予定調和に収束する感覚とそれが現実になること」—に対する私のささやかな抵抗です。このリプレイは摂理が根負けするまで一生同じ回答で持って答え続けるという精神を良く表した試合内容であり、オチは私が折れたら予定調和に収束したというものです。

 

こちらは摂理が折れてくれました。

 

  • ディディーvsヒカリのピーナッツ

絵に描いた餅が実体化したような試合で頭が壊れてしまうかと思いました。

 

3タテできそうだったので記念に上Bブッパの後隙をあえて催眠して煽ろうと思いましたが着地姿勢で回避され無事死ぬやつ。

 

など。

今初めて自分で自分のリプレイを見直しましたが、ちゃんとコンセプト通りに作れているようで嬉しい限りです。

 

終わり

なんかわからんけど復活するらしいので、お墓参り終わるのもなんか寂しい気もします。

最初の頃は友達が復活する前に全キャラVIP入れたる!と意気込んでましたが、最近なんか知らんですけどモチベが下がっていてあまりスマブラ触ってないのが現状です。

まあ、日記の記事にするキャラだけならめちゃストックがあるので消化しつつモチベ復活待ちって感じですかね…