もうねなさい

ゲームとか大好きです稀に現実のことも

日記69 松のやさんに行った

今日はスマブラのことは書かない。

なぜなら全身スマブラだけのスマブラマシーンではないかと自己否定が起こりそうだからだな。そしてそれは巡り巡って健康に良くない。

実際ここのところプリンが全く勝てないのと、大神が想像以上にボリューミーで面白いという相乗効果でスマブラのモチベがあまりない。

 

大神のことはまたそのうち話すとして今日は久しぶりに外出した。髪を切った。

まあ、俺はこんなんだから髪というか、あらゆる外見に対してそこまでしっかりしていない。なので正直、髪の話はそこまでできない。

なんだろう、何か書くとすれば「髪を洗ってもらった時の顔に被せられる布にまつわる諸問題」についてか。

この問題は大まかに2つの議論ができるな

1つは「布がかけられている間の時間」

1つは「布を顔から取られた瞬間」だ。

この議論を行わずして何が人生だ

人生においてこの議論をしたことのない奴はチェックしろ。

 

「布がかけられている間の時間」問題は簡単だ

布が顔にかかっている間の暇な時間、目を開いたままにしておくか閉じておくかだな。

目を開いたままでいるというのは一見すると頭がおかしい。視界が遮られているのになぜ目を開いたままでいられようか。非合理的なわけだな。視界は遮られて、さらに意識を向けるべき対象も無い。なら目を開く必要がない。

もっというならば布が顔にかかっている間は、俺とスタイリストの人との関係は一時的にフェイストゥフェイスから離れているだろう。

つまり、俺の顔は「非公開情報」になるわけだ

俺からも外部からも。

なのにだ。目を開いたままでいるとどうなる。「非公開情報」の内部に「目を開いていた」という情報が生まれるな。

端的に換言すると怖い。ブラックボックスの内部で目は開き、なにかをみつめている見つめていたという「闇」が持つ根源的恐怖を感じさせる。

 

一方で目を開いたままというのは合理的な側面もあるだろう。つまり、目を閉じる必要があるのかという疑問だな。

目は開けられた状態で、布を被せられても俺は目を閉じる必要がなくて、再び布は外され俺は視覚情報を得ることができる。

ポイントは目を閉じる道理が無いことだな。

開いたままというのは一方で理にかなっているのがわかるだろう。

 

これは逆に目を閉じることが道理から外れていることを意味しているかというと、そうではないのはもうわかるな。

目を閉じるというのは「場面に即している」。

顔は「非公開情報」になっている。視覚情報は得られず、得る必要もない。目を閉じることで俺もまた世界に対して情報を制限することは自然な動作の一つとも言えるだろう。つまり自分の状態と世界の向き合い方がフェアだ。

 

この議論を総括するならばベストな結論は出せないにせよ「目は閉じる」方がベターな選択肢だとわかるだろう。もしかしたらベストは「目を開く」方かもしれないが、下振れが少ない閉眼派の方が安定するな。

 

しかし閉眼派はここで更なる問題に直面する。

それがこの「布を顔から取られた瞬間」問題だ

 

これも簡単だぞ。

「布を顔から取られた瞬間」どう目を開くか

そういう問題だ。

逆に開眼派はこの問題に悩む必要はない。

怖いけど。

 

布を顔から取られた瞬間我々は目を開く必要がある。そしてそれはどのように目を開くかという問題に直面する。

眠りから覚めたように目を開くか?

危機的状況から目覚めた主人公のようにハッと目を開くか?

それとも長い間機能停止していたロボットが再起動した時のようにゆっくり目を開くか?

 

いずれにせよ問題なのは「目を閉じる道理が無い」ということだ。つまり、どのような格好で目を開いてもそれは「嘘」だということがわかるな。そしてそれはつく必要の無い「嘘」だ。

だがしかし、目は瞑ってしまったのだから開かねばならない。

それではいかにしてこの「嘘」と向き合うべきか?

結論は難しいだろう。

 

俺は「あ、終わりました?」みたいな体でありとあらゆる角度から自然に見えるように「場面に即した」目の開き方を心がけているが、結局のところ終わるタイミングの察知に視覚情報が要らない以上「嘘」という呪縛から逃れられていない。

 

以上、髪を切った時の話。

 

その後外で飯を食べた。

正直ここ数週間ロクなものを食べてない。

朝トースト、昼無し、夜袋の具無しラーメンかご飯のサイクルを2週間ほど繰り返していて気が狂いそうだった。

なんでもいいから肉と野菜を口の中に入れたかった。

 

松のやに行った。理由はあったから。

カツとキャベツというダイレクトな肉と野菜のわかりやすい物体の並んだショーケースはわかりやすく俺の本能に訴えた。

一番安い定食を頼む。お金がないので。バイトする力がない。金…俺は…無力な男…。

そして到着。久々の肉と健康的な油と野菜と汁物と米が眩しすぎて丁寧に食べようと心がける。

 

キャベツ。美味しい。キャベツの栄養がどの程度なのか知らないが、キャベツは葉っぱだ。わかりやすく葉っぱ。俺は今野菜を食べている。シャキシャキしてるが後半からモサモサに変わり口の中のあらゆる水分が吸い取られていく。心が豊かになる。美味すぎて。

 

米。美味すぎる。美味すぎて最初びっくりした。こんな美味い米存在する?毎日家の冷蔵庫に入っている冷蔵ご飯はパサついてるし、玄米はかみごたえがウザすぎるしボロボロで美味しくないし、粟に至っては最高に不快感が凄いので久々の純度100%の米に体が震えた。

一応フォローすると玄米も粟も不味くは無い。嘘。食えなくもない。逆に食えなくもないのが最悪で、摂取してる時のちょっとした不快感がほんま最悪。我慢できるレベルっていうのがすごくタチが悪い。粟はほんと、なんか口の中が後半ヌルヌルし始めるのキモ過ぎる。

とにかく米を口の中に入れて噛むと美味しくて、たくさん味わえるのが嬉しくて、こんな美味しいものを食べても大丈夫なのだろうかと不安になった。

しかもおかわりし放題。ざわつく内心をどうにか誰にも悟られまいと必死だった。

 

ロースカツ

うますぎ

 

みそ汁

特に最近は冷える日が続いてたので美味しい。

味が濃くて味覚が死んでる俺好みだ。

おかわりしてた人がいて、えッこれもおかわりしてもいいんですか?と軽くパニクッて「まつのや おかわり 回数制限大丈夫?」とかで検索した。

そして感動した。この米とみそ汁おかわりしていいってよ。いっぱいいっぱい、いっぱいおかわりしていいってよ。誇張抜きで一滴だけ涙が自然と落ちた。こんなに豊かな…?

 

そんな感じの1日でした。

家買ったら異常に疲れてたのでスマブラも大神も無しにして寝ました。