オンデマンド最高。
特定の誰かに伝えたいわけではないので日記に書くが、正直言って鬱だと診断されてからの2年間、体力が絶望的になかった。
食事も歩行も面倒くさい。
これは今もだ。
その中での希望がこのオンデマンド式だ。
朝は満員電車でストレスを感じることはない。
人が怖いため今まで無理だった会話ができる。(実はコミュニケーション障害がなんとかなったわけではないので実際にコミュニケーション取れてるかどうかは微妙だが、恐怖心はそこまで感じない。互いに顔を一切見せないので。)
このように体力的に物凄く優しい。
それと姿勢がクソでも問題ない。
育ちが悪いので正直「椅子に座って講義を受ける」ということが体力的にかなりキツい。
横になったり座椅子でカスみたいな姿勢でやっていた方が明らかにリラックスして講義を聞けるのだ。もちろん、不躾だが礼儀に無頓着というわけでもなく、義務教育分くらいは礼節を知識として持っているため「教えてもらっているのに」という感情はあるし、大学へ通ってた頃はちゃんとあるべき姿で講義を受けていた。(当たり前だが…)
今はなんというか、楽で効率が良くてしかも相手は録画した(あるいはお互いに顔も知らぬ状態もわからぬ)人なので、気兼ねなく姿勢を自分が最も効率の良い状態にできる。
本当に体力的に助かっている。
大学はマジでこれを続けてほしい。
テストの日くらいは大学行くので。
というか俺の体力はいつ戻るんだろう。
鬱って最大HPが減少する、ロックマンエグゼのダークチップ的な感覚が凄い近いと思う。
正直俺は自分が鬱だという自覚が今までも、今でも皆無だから、最大HPが下がるっていうのは元気な状態の俺がそのままで、ずーっと実は下に更新され続けてる感じだったみたいなんだが
鬱っていうのは、治ったら体力も戻るのだろうか
俺は、元気だった頃の俺がもうわからない
どういう状態が元気なんだろう
少なくとも今は歩くのも食べるのも面倒くさい
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今日は9時間くらいレジュメ作ってた。
つかれた。
文書を読むのは苦だと思ったことはあまりない方なのだが、今回ばかりは苦行か何かかと思った。
興味がない+長い+つまらない+クソクソクソ難しいというのはどういうことか?全てに対して敏感な方じゃない俺でも流石に気がついた。
クソだ。とびきりの。
むしろ感謝するべきかもしれない。
苦役だと感じたことのない事について、苦役だと感じる人間の気持ちを知ることができたのだから。
なんというか、俺はカレーが好きだ。カレーが嫌いな人の気持ちがわからない。だけど今日、カレーが嫌いとはどういうことかを知った。みたいな感覚だ。
課題はなんだかわからない仏教の考え方だ。
一音説法だかなんだかわからないが、とにかくそれにまつわる専門用語がわからない。本文が何を伝えたいのかさっぱりわからない。資料の名前が読めない。中国版スタバかよ。みたいな名前ばっかり。当然「知ってるよね?」のごとく本文が進むので調べなくてはいけない。死ね。
本当に表層の方だけ書くと、仏は悟った事を他人に伝えなかった。混乱を招くからだ。そしていろいろあって、ついに仏が悟った内容を人間に教えるわけだが…
喋ったり、喋らなかったりする。
とにかく喋ったり喋らなかったりするとしか言えないが、そういうことらしい。ある本には喋ったと書かれてるし、ある本には喋らなかったと書かれてる。喋った内容もめちゃくちゃ本によって異なってて、そういうのいちいち解説とか書いてないので調べてたら時間溶けちゃった。死んでくれ。
しかし、まあ、共感っていうか、俺もそう思うな〜っていうか、絶妙に釈迦のやらんとしてることが、それこそ言葉の向こう側でわかるんだよな。
釈迦の崇高な考えが俺みたいなカスに理解されたらたまったもんじゃないだろうけど。